バイト

いま入っている案件でめっさ苦手なリーダーがいます。

 

上司ってほどの立場のひとではないんですが。

 

あまりに手酷くやられすぎて、最近ではその人に仕事の報告にいくだけで声が震えています笑

 

僕はその職場では年期がかなり長い方で、化石レベルのベテランです。

 

いつのまにか。

 

もっともずっとその職場にいたわけではなく何度か出戻りしているんです。

 

で、ほかの職場でもわりと場数を踏んできたつもりでいました。

 

大抵のパワハラ、矯正には耐えられるようになったつもりでいました。

 

ですがこの体たらくです。

 

その人自体とは以前から顔は知っている程度で、お互い歴は長いんですが、今回初めて同じ案件になっています。

 

まさかこれほど徹底的にこき下ろされるとは思っていませんでした笑

 

もうかなりおどおどびくびくしています。

 

ベテランなのになさけない、とは思わないわけではないですが、この反応自体はいつものことなんです。

 

自分の反応ですね。

 

僕はパワハラ系の上司には大抵徹底的にやられてしまいます。

 

最終的には険悪にならなかったりするのが不思議ではありますが。

 

不思議というより自分が決して反発しないように心掛けているからなんだと思っていますが。

 

失礼なことだけはしていない「つもり」です。

 

ただその人とはそうなれるかは謎です。

 

まずここまで理不尽(と自分には思える)扱いを受けているのは初めてだからです。

 

もっとも、仕事がぬるいのは確かです。

 

抜けも多いですし。

 

ベテランのくせに、と言われてしまえば返す言葉はありません。

 

自分より目上の人にやられるんでしたらまだいいんですが、まあそれもいやですが。

 

自分より新しい人で、正直あまり尊敬できない人からこき下ろされるというのもまた違った辛さがあるんだなと。

 

今回新たに学びました。

 

出戻り前の前職がわりと最後の方平和だったこともあって、久々の娑婆の空気といった感じです。

 

ああ、いつもこんな扱い受けてたなと思い出しているところです。

 

輪廻のように同じことを何度も繰り返しています。

 

35歳ですし、いい加減卒業したいところですが、三つ子の魂なんとやらともいいます。

 

人間、場数を踏んだと思っていても、変わらないものなのかもしれません。

 

でも、どこかで、この傾向性を断ち切らないと、自分の人生、後悔しそうな気がしています。

 

35歳、もう全然若くない年です。

 

どこかで自分の為に生きる人生に変えないと、このまま誰かの咬ませ犬になるだけで終わりなんて、周りにとって都合がよすぎる人生です。

 

当然、周囲は僕に変わる必要はないというと思います。

 

その方が相手にとっては都合がいいでしょうから。

 

僕のあらゆるリソースを、他人の為に優先して使っているわけですからね。

 

でもそれを続けていたら、どんどん自分が貧相になっていきます。

 

最近それを感じています。

 

分かち合い、とか、愛、とかありますが、それとはまた別の話だと思うんです。

 

結局、自分の望まないことを自分に強いること、それって立派な「虐待」じゃないですか?

 

なぜ自分に対する虐待をこんなに簡単に許しているのか。

 

エゴイスティックな意味とも少し違う意味で、「自分を大切にする」ことをしていきたいです。

自分の名前

「自分の名前を唱える」。

 

この本に載っていました。

 

 

神秘の門

神秘の門

 

 

スピリチュアルです。

 

僕は自己啓発本が好きでよく読みます。

 

仏教の教えのものや、精神科医の方が書いた本、ビジネス書も読みます。

 

僕の中ではひとくくりに自己啓発本と思っています。

 

上記の本は最近買ったものです。

 

韓国のスピリチュアルな方面の方のようです。

 

これまでいわゆる「スピリチュアル本」には「ほぼ」手を出していませんでしたが今回買ってみました。

 

その中に出てきたのが「自分の名前を唱える」です。

 

一週間必死に唱え続けろと。

 

病気を治す方法、として書かれていました。

 

もちろんこれだけで病気が治るとは思いません。

 

すべての民間療法、健康法と同じくです。

 

でもやってみて失うものもないですし、健康法のひとつとしてやってみようと思いました。

 

最近の圧倒的恐怖心をなんとかしたい一心で、仏教徒でもなんでもないのに「南無阿弥陀仏」とか、なにか唱えることで軽減できないかと試したりもしていました。

 

それくらいここ数週間追い詰められていました。

 

ただ、「南無阿弥陀仏」は仏教に十分帰依したひとじゃないと効果が薄いのでしょうね。

 

なにかぴんとこないというか。

 

思い入れがなさ過ぎて、効果を感じられませんでした。

 

でも、自分の名前というのは否が応でも思い入れがあります。

 

「仏」に救いを求めて唱えるのに何か違和感があったのですが、自分の名前でしたら僕は唱えることが出来ました。

 

ぼそぼそでいいので声にだして唱えます。

 

人前では聞こえない程度にですが。

 

まぁぶつくさ言ってる変な人と思われてもかまわないです。

 

その人と今後の人生で2度とすれ違わないかもしれないわけですから。

 

スピリチュアルな事象の大抵に言えることなのかもしれませんが、根拠はないわけですよね、科学的な。

 

エビデンスというのでしょうか。

 

その世界の人でしたら「ある」というのかもしれませんが。

 

興味のない人からしてみたら、根拠はないわけです。

 

でも、結局、「ある程度信じてみる」ことが大切なんじゃないでしょうか。

 

「唱える」にしても、まったく信用せずに続けることはできないし、ある程度信じたほうが、実際、効果が上がりやすいのではと思います。

 

少なくとも気分的には実際変わりました。

 

そこを求めてもいたわけですから、その意味でよかったです。

 

信仰というのも、神(なのか呼び名は色々でしょうが)が実在するというリアルな感覚があるかどうか、なのでしょう。

 

実在する証拠がないとだめとか、そんな話ではないわけです。

 

信仰している人からすれば、実際にいると「感じられる」わけですから、その人にとっては実在しているわけです。

 

結局、なににつけても、「感じ」の「リアリティ」こそがこの世の真実なのでしょう。

 

といってもこの考えは自分で考えたわけではなく、名越さんという精神科医の方の受け売りです。

 

テレビにもよく出ていらっしゃるのでご存知の方もいるかもしれません。

 

 

 

「感じ」の「リアリティ」がすべてだというのは、上記の本に書いてありました。

 

最近の救済を求める読書の中で改めて出会いました。

 

この本自体は前から持っていましたが読み直したんです。

 

上の発想はいま出会えてよかったです。 

健康習慣

「爪もみ」、今日も暇さえあればやっていました。

 

駅から自宅や職場まで歩いてるときにずっと揉みながら歩いてました。

 

バイト中はなかなか両手が空かないので難しいですが、隙があればやっています。

 

そして同じく昨日からやっているのが、「自分の名前を唱える」。

 

これを一心不乱にやるといいらしいです。

 

やってみて思ったのが、わりといいです、これ。

 

最初自分の名前を唱えたときわりと嫌な気分になって。

 

どれだけ自分にネガティブなイメージを持っているのかと。

 

正直、自分の名前って特に好きではないです。

 

でも、唱えているうちになんだか感謝のような気持がわいてきました。

 

自分の親に対する感謝と、自分の体に対する感謝です。

 

僕は本当に、自分の体にたいしてどれだけネガティブなイメージを抱いているのか。。

 

もっとも、それが高じて手術まで受けるくらいです。

 

相当なのは間違いないです。

 

事実、自分の体、ルックスで好きなところが一つもないです。

 

背が低いし、頭が大きいし、顔もよくない。。

 

体も痩せているし貧弱です。

 

おまけに内臓もよくないという。

 

だけど、僕を生かしてくれているのも、この体に他ならないわけですよね。

 

自分は蛇蝎のごとく嫌っていても、体の方は毎日頑張ってくれている。。

 

そういった考えが浮かんできて、感謝の気持ちが出てきました。

 

自分が嫌っているのも、あくまで形状の話です。

 

確かに正規品の規格からはやや外れていますが、だからって村八分に合うわけでもない。

 

女性には全然受けないでしょうが。

 

そのことを呪ったこともありました。

 

でも、それも含めて自分に与えられたものです。

 

嫌ならきょうにでも人生終わらせましょうかと言われたら、当然生きている方がいいです。

 

もう少し自分の体をいたわっていきたいです。

 

これまで精神的にも手術ででも、自分の体を罵っていじめて申し訳ない気持ちです。

意識

昨日は、「こんな死相が出たような顔でひとさまの前に顔を出すこと自体申し訳ない」とまで考えていました。

 

バイト中も常在する不安感とあいまって辛かったです。

 

きょうは死相自体は何も変わっていないはずですがわりと楽でした。

 

気分の「リアリティ」はつくづく「本物」です。

 

仮に僕がなにかの病気だったとしても、それ自体も昨日と今日でなにひとつ変わっているわけじゃないはずなんですが。

リアリティ

幸福「感」

 

不安「感」

 

・・・

 

恐れも、幸せも、結局自分が「感じるか、感じないか」ひとつなんでしょうね。

 

考えで、「幸福感を得よう」といくら考えたところで、感じられるわけでなし。

 

逆に、感じている「不安感」、「恐怖心」をいくら考えで消そうとしてもけせるものではありません。

 

それくらい、「不安感」というものの「リアリティ」は凄いんだということです。

 

結局、この「リアリティ」だけが問題なのではないでしょうか?

 

同じ状況であっても、極端な話余命を宣告された状態であっても、「不安」を感じていないのであれば、そこには不安は存在しないわけです。

 

その人は平静なのでしょう。

 

逆に、ほんのささいな(と他人には思える)こと、それに対して、本人が「不安感」、それも強い不安感を抱えているのであれば、それは紛れもなく現前します。

 

ある人は死の直前にしか感じないような不安感を、別の人はちょっとしたことで感じているかもしれません。

 

結局、どこまでいっても、その人が置かれている状況そのものが問題なのではなく、その人の感じているその「感じ」のリアリティこそが問題なのだということです。

 

そこが、根本的に誰かと分かち合えない部分なのかなと思っています。

 

自分の感じている「恐怖心」、これの「原因」とされる事態が、世間一般から見て「軽い」とされるものだった場合、その人が紛れもなく感じている激しい「恐怖」は、周りから正当に認められないんじゃないでしょうか。

 

「命にかかわる病気」などであれば、「ものすごい恐怖を感じています」と声高に主張もできるでしょう。

 

ですが「たいしたことのない事態」で、同様に強い恐怖を感じていると主張しても、「それはお前が悪い」(または弱いだけ)となってしまうのではないでしょうか?

 

直接的に相手に伝達できるテレパシーのような手法があれば別ですが。。

 

そこに、「相談できない(できにくい、わかってもらえない)悩み」が生まれるんじゃないかと思うんです。

 

圧倒的な「恐怖」を感じているただ中で、「自分の責任だ」となったとこで、その恐怖心が1ミリでも和らぐわけではないのですがね。

 

そのただ中で、どうやったら恐怖が和らぐのでしょう?

 

自分も知りたいです。

 

いつもは、結局「時間が解決する」といった感じです。

 

もしかしたら、それ以外の方法はこの世に存在しないのかもしれませんが。。

尊敬する

昨日、バイト帰りの喫茶店でスマホで読んでいました。

 

ameblo.jp

 

どこで知ったのか、きっかけはよく覚えていませんが。

 

たぶんネットをうろついていて誰かが相河ラズさんの闘病記を紹介されてたブログだかを読んだのがきっかけだったと思います。

 

 

余命半年から生きてます!  面白いほど不運な男の笑う闘病記

余命半年から生きてます! 面白いほど不運な男の笑う闘病記

 

 

こちらの闘病記、紹介されていた方も絶賛していて興味を覚え購入しまして。

 

極限状況なのに底抜けの明るさ。

 

逆に、たぶん明るくしか書けないんだと思う。

 

読んでもらうためにも。

 

泣き言を言っても誰も聞きたくないし、聞いてもらえませんしね。。

 

凄くいい本でした。

 

で、本編の?ブログの方も最初から暇を見つけては少しずつ読んでいっています。

 

相河さんは最後まで同じ姿勢で生き抜いて、3年ほど前に亡くなっています。

 

そちらのブログで免疫力アップの為に書かれていたこと。

 

「爪もみ」

 

今日からやっています。

 

僕は免疫のバランスがおかしいです。

 

そのために内臓の病気にいっこかかっています。

 

自己免疫疾患というやつです。

 

その病気は、すぐに命にかかわるわけではなく、病状もいまは安定しています。

 

たぶん僕は体が人一倍弱いのでしょう。

 

爪もみはその病気がひどいときに藁にも縋る思いでやってたこともありました。

 

続きませんでしたが。。

 

すぐに効果が実感できる類のものではないようです。

 

でもやるデメリットもないようなので、これから続けていきたいと思います。

 

できるかな?

 

多分35歳を超え、手術をし、放っておくと加速度的に健康を失うし老化していくんじゃないかと思います。

 

人一倍、体が弱いわけですしね。。

 

圧倒的な恐怖感が少し薄れたからこそ、こうした行動がとれるとも言えますね。

本日は

わりと(メンタルの)調子はよかったです。

 

目のクマなど変わっていませんがね。

 

きょうはもういたずらに鏡を見ないようにしました!

 

鏡を見て何百回溜息をついても健康になれるわけじゃない。。

 

その逆こそあるかもですが。